NPO法人犬と猫のためのライフボートの歩み

ライフボートはつい先日(※)、活動開始以来の犬猫累積譲渡数が10,000頭を超えることが出来ました。
この譲渡実績(イコール救命実績)は、日本の動物愛護活動の歴史では前例がありません。

ほぼ10,000人に達する里親さん、色々な場面で助けて頂いたボランティアの方々、支援金や支援物資を送ってくださった皆様、惜しみない協力をしていただいた行政関係の皆様のおかげで、それらがなければ殺処分されていたはずの10,000の小さな命を救うことができたことになります。

しかし、10,000頭というのは、これからの長い道の通過点に過ぎず、まだ小さな数字です。
ライフボートの活動の15年間の間に、皆様の家の犬猫と同じように、命さえ救えればかけがえのない家族になれたであろう400万頭以上の犬猫が救いを待ちながらガス室に消えていきました。

ライフボートは救えた命よりも救えなかった命の重さを噛み締めて、「犬猫の殺処分ゼロに向けて進む」ことを使命として活動して参ります。

このページでは、10,000頭という一つの数字の区切りを機会に、なぜライフボートが多くの命を救うことが出来たのか、これまでのライフボートの活動の歩みをご紹介します。

※2012年11月11日

1. 活動開始(1998年~2001年)

時代背景

動物愛護団体が毎年殺処分される数十万頭の犬猫を全て引き取って飼育することが出来ない以上、一頭でも多くの命を救うのには一人でも多くの里親さんに犬猫を迎え入れていただくことしかありません。

このことは考えてみれば当たり前のことですが、ライフボートの発足当時の15年前は、行政機関は自分達で里親さんに少数の犬猫を譲渡することはあったものの、その動物達の再譲渡を前提として民間団体に譲渡することはなく、当然こうしたことを本格的に行う動物愛護団体はありませんでした。

行政が譲渡をしてくれないのには色々な理由があったと思われますが、「不熱心な行政」や「心無い飼い主」を批判することに終始する当時の一部の愛護活動が、行政の態度を硬化させてしまったのも理由の一つかもしれません。

ゼロスタートした「素人」の強み

ライフボート創業者の吉田淑子は動物愛護活動とは無縁のごく普通の動物好きな主婦でしたが、その分、普通の飼い主さんの感覚でものを考えることが出来ました。

処分されるはずだった犬猫たちに、里親さんとの良い縁があって家族として暖かく受け入れてもらえれば、それこそが本当の動物愛護であると考え、ライフボートの活動の基本を「動物愛護を熱く語るよりも、先ず命を救ってから里親さんにもらっていただくこと」としました。
ライフボートの仕事は救命であって、愛護は里親さんにお任せするというのが、活動開始以来の一貫した姿勢です。

ライフボートという団体名は放置すれば殺される犬猫を、ライフボートという「救命艇」で一時保護し、「里親さん」という犬猫にとっての港に届ける活動をイメージして、創業者が名づけたものです。

しかし、当然ですが、活動はゼロからスタートしなければなりませんでした。
まず、システム的に継続して命を救う活動をするためには保健所から犬猫を引き取れるようにしなければなりませんが、活動を開始した頃は、動物愛護団体に犬猫を譲渡してくれるような行政機関がなかったのは申し上げたとおりです。

しばらくは、どこの保健所に相談しても取り合ってもらえませんでした。
近所に捨てられた犬猫などを自宅に保護しながら、細々とした試行錯誤を続けることが2年間も続きましたが、ライフボートから見ればこの期間は飼育や譲渡ノウハウを獲得していくうえで無駄でもありませんでした。

何の実績もないライフボートが保健所や愛護センターから犬猫を引き取らせてもらうのには、まずそれらの行政機関が安心してライフボートに犬猫を渡せるように信頼されるシステムを作る必要があります。
里親さんに譲渡するためには、劣悪な環境から来た犬猫を一時飼育して健康を回復させ、ごく普通の飼い主さんでも安心して飼えるようにしなければなりません。そのためには一定の飼育施設(アニマルシェルター)とある程度の知識や経験を持った飼育人員が必要です。

これらの能力を備えることで行政の信頼を得ることが当面の課題になりました。限られた予算の中で自宅をシェルターに改造し、飼育できる体制を作りながら、譲渡してくれる行政機関を根気よく探す日々が続きました。

特に人員については専従職員を中心とした組織的な活動を目指して体制を構築してきました。
責任の明確な職員が業務にあたることで、日々の活動を適切に行えることはもちろん、受入先の行政機関の信頼を得やすくなりました。このことは、その後受入先行政や支援企業を増やして活動を拡大する上でも大きな成功要因の一つになりました。

2. ブレークスルー:岐阜市保健所(2001年~)

ブレークスルーは意外なことに岐阜市から開けました。
当時近隣の県の行政機関からは良い返事がもらえず、具体的な展望が開けなかったことから、駄目で元々と青森から大阪までの保健所にダイレクトメールを出してみたところ唯一岐阜市保健所から「話を聞きたい」との反応をもらいました。

岐阜市保健所は元々動物愛護に熱心であり、自分達だけで保健所に持ち込まれる子犬はすべて里親さんを見つけていましたが、「猫だけは何とかしたくても数が多すぎてどうにもならない、何とかならないだろうか?」という率直なご相談をいただきました。

公的機関がいまだに実績もない市外の任意団体(当時)に子猫を譲渡することは大冒険であり、よく踏み切っていただけたと思います。当時ご担当のS様には感謝の言葉もありません。その後、岐阜市からの受け入れは順調に進み、2003年度には岐阜市からだけで555頭の受け入れをさせてもらえるようになりました。

3. 幼齢不妊手術の導入(2003年~)

譲渡数の増加は組織運営上様々な問題を引き起こしましたが、そのうちの一つが第三者から常に指摘されていた「譲渡によって目の前の子の命が救えても、その子が子供を産んでしまったら、不幸な犬猫の数を減らすことにはつながらないのではないか?」という問題でした。

ライフボートでは当初から、子猫の不妊手術費用はライフボートで全額または半額を負担するという方針を採っていましたが、それでも手術をしてくれない里親さんが発生してしまいます。

当時子犬子猫の手術は生後半年以上、発情期の直前に行うべきだという説が一般的でした。
しかし手術の出来る生後半年までシェルターで飼育していたら、里親さんへの譲渡のタイミングを逸してしまいます。(費用や手間の点でもそうですが、譲渡タイミングは子犬子猫に物心のつく頃の方が心理的な負担も軽く飼い主さんに懐きやすくなります。) ライフボートとしては、そんな矛盾を解決しなければならない立場にあったといえます。

岐阜市保健所からの子猫受け入れに続き、2003年のLBJ附属動物病院の開設は、この問題で生じた矛盾を飛躍的に解決する手がかりになりました―――――「早期不妊手術」がそれです。

早期不妊手術は、それまで海外のシェルターでは広く普及していた方法でしたが、日本には本格的なシェルターがなく(米国には大小取り混ぜて6,000ヶ所あるとされている)、従って早期不妊手術への関心も需要もありませんでした。

しかし、いろいろ情報を集めた結果、この手術を実際に行っていた獣医師が日本にもいることがわかり、そのM先生に熱心に協力していただいた結果、ここに日本で始めての「早期不妊手術専門病院」が誕生しました。

それに伴って新しい譲渡システムもスタートしました。
すべての犬猫はライフボートの動物病院で不妊手術を済ませ、それだけでなくワクチン接種なども済ませてから里親さんにもらっていただくことができるようになりました。

ライフボートでは不妊手術をいわば流れ作業で行うことができますから、里親さんには一般の動物病院に比べて半額程度の費用負担をお願いしても、獣医師の人件費などの手術コストをカバーでき、差額は犬猫飼育費用などに充当できます。

ちなみに初代院長M先生は、現在は獣医大学病院の研究室で、不妊手術とは別分野ではありますが目覚しい活躍をなされています
病院開設後の犬猫はすべて手術を行っていますので、LBJ付属動物病院ではこれまでに9,000頭以上の手術をしたことになります。

半ば当然ながら、当時はまだNPO法人にもなっていなかった動物愛護団体が早期不妊手術専用の病院を開設するというベンチャー的試みは、一部の愛護団体や獣医師、更には団体内部からも反発を受けることになりましたが、創業者の強いリーダーシップの下に行われたこの試みの成功は今に続いており、ライフボートの活動モデルの基盤になっています。

早期不妊手術の実施は里親さん、犬猫、ライフボートの三方得になったばかりでなく、他にも多くの好ましい影響を及ぼすことになりました。

まず、行政にあった「せっかく譲渡しても、その一部からまた子犬子猫が生まれたら、譲渡しても不幸な犬猫の数を減らすことにはつながらないのではないか?」という、行政が譲渡活動に協力することへの根強い消極論を一掃することになり、その後の新しい自治体の協力を得やすくなりました。

子犬よりも子猫に圧倒的に多いケースですが、子猫をもらってくれた里親さんが手術を見送ってしまうのは、手術料の負担よりも、一旦手元に置いてしまうと、手術時の万一の事故の心配や、小さい猫のお腹を切り裂くことがかわいそうとい気持になってしまうことが多く、そうこうしている内にメス猫が発情してしまうということが多いのです。

野良猫の原因が捨て猫にあることは事実でしょうが、実は「逃げ猫」も少なくありません。発情期の猫の衝動は非常に強く、自分の日常の縄張りを越えて遠出をして、そのまま帰れなくなってしまうことも多いのです。

また、一般の動物病院でも早期手術をしてくれるところも増えてきました。猫を飼育する動機として、「子猫を拾ってしまったので・・」という理由は今でも一番多いのですが、それらの飼い主さんも飼育初めに早期不妊手術を利用できるようになれば、そこでも不幸な命の誕生を防ぐことができます。

4. 救命数と支援者の増加(2003~2009年)

インターネットの急速な普及は特定の個人が行ったことではなく、また犬猫のために行われたものではありませんが、早期不妊手術と共にライフボートの譲渡活動を支えてくれる結果になりました。ネットの普及があったことで、コストをかけずに里親さん募集情報などライフボートの活動内容を発信することが出来るようになりました。ある意味、時流に乗ったといえます。

創業者はネットの将来性に最初から注目し、ライフボートの活動開始時点ですでにインターネットを積極的に利用して里親募集を行うようになりました。光ファイバーはおろかADSLすら未だなかった時代です。
クチコミなどによる草の根運動をしなくても里親さんが見つかるということは、資源の少ない非営利団体が低コストで成果を出す上で重要なツールになりました。

情報発信力の強化は多くの支援していただく方の参加にもつながりました。
特に2006年からYahoo!ボランティアがライフボートを取り上げていただいたことは支援金の大幅な増加につながり、ライフボートの活動に更に弾みをつけました。(現在、支援金全体の6割近くがYahoo!ボランティアによるものです) また、支援金だけでなく、シェルターの運営に必要なフードから新聞紙に到るまで多くの必需品の一部を支援物資として頂けるようになりました。ボランティアさんの参加機会も増えるようになりました。

それらの支援によって、ライフボートは活動を積極化することができ、協力していただける自治体も救命実績も毎年増え続け、2007年には初めて年間1,000頭を突破するようになりました。2008年にはNPO法人格を取得し、2009年には過去最高の1,500頭を超えることができました。また協力して頂ける自治体の数も7にまで増えました。

5. 新しいライフボートを求めて(2010年~)

2009年までは順調に拡大を続け外部からそれなりの評価を頂けるようになりましたが、創業10年ともなると様々な部分で制度疲労が見受けられるようにもなりました。

創業者も60歳を越えて健康上の不安も生じるようになったこともあり、世代交代によるモデルチェンジが真剣に検討され、2011年から理事長以下理事の全面的な交代が行われ、新理事長にはそれまで主に事務局でネット業務を担当していた稲葉友治が就任しました。(※理事長の交代について

今後は現在の活動モデルに更に磨きをかけることと同時に、新しい活動モデルを構築して、ライフボート単体の活動にとどまらず救命のしくみを全国に広げることで最終目標である殺処分ゼロに向けて活動して参ります。

また時を同じくして、シェルターの老朽化などに対応するために、シェルターの移転も行なうことにしました。(※シェルター移転について

特筆すべきことは、シェルターの移転費用3,000万円は日常的な支援金に加えた新しい募金でカバーできてしまったことです。つまり新しいシェルターは支援者の力のみで完成したことになります。支援をしていただいた方のうちで少なからぬ部分は、以前ライフボートから犬や猫を引き取り里親さんになってくれた方達です。

6. 最後に

創業者が活動を始めたとき、当然ですが周囲からは、「どうせ出来っこない」と冷ややかな眼で見られるか、「馬鹿なことをやる」という嘲笑ばかりでした。

残念ですが、ライフボートが自分に課した犬猫の殺処分ゼロに向けて進むという使命も多くの方の目から見れば「出来っこないよ」でしかないと思います。
ライフボートで救える命も、殺されていく犬猫の数に比べれば未だに微々たるものに過ぎないのも事実です。その意味では、ライフボートは常に創業期にあるといえます。
しかし先のシェルター移転へのご寄付を初め、現在いただいている多くのご支援を見れば、創業者の熱意と工夫によるライフボートの10数年間は決して無駄ではなかったと言えるかと思います。

今後もライフボートの活動を見守っていただくようお願い申し上げます。

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作成:2013年1月23日/更新:2016年10月25日